【 概 要 】−観音寺城の築城年には諸説ありますが建武2年(1335)、佐々木氏頼(六角氏頼:南北朝時代の武将、守護大名。六角時信の嫡男。)が北畠顕家の軍を迎え撃つために築いたとも、応仁2年(1488)に六角高頼が家臣に命じて築いたとも云われています。六角氏は近江源氏である佐々木氏を祖とする名族で室町時代中期には南近江の守護職を担うなど大きな影響力を持ち観音寺城も随時拡張されていきました。同族で北近江を支配した京極氏とは対立関係となった為、度々戦場になり、室町幕府からも親征を受けていましたが、将軍である足利義晴と足利義輝を受け入れることで地位が確立し幕府の管領代に任じられています。戦国時代に入ると浅井氏(小谷城の城主)が台頭した事で大きく領地が削られ、家臣の離反が続き衰微します。永禄11年(1568)、織田信長が足利義昭を奉じて京都に上る際、信長と対立した事で多くの支城が落とされ、六角義賢・義治父子は大きな抵抗なしに観音寺城から落ち延びます。その後、随所で対信長の反乱を試みますが大きな動きにはならず、いつしか観音寺城も廃城となります。建物などの用材は安土城の築城の際、持ち運ばれ利用されましたが郭の形状や土塁、石垣などの遺構が残っている為、砦としての機能がある時期まで維持されたとも云われます。観音寺城跡は国指定史跡に指定されています。観音寺城は春日山城(新潟県上越市)・小谷城(滋賀県長浜市)・七尾城(石川県七尾市)・月山富田城(島根県安来市)と共に日本五大山城の一つに数えられ、平成18年に日本100名城に選定されています。
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